自尊心と自己価値感は分けて考えた方が人生が捗るのではないか、という話(メンヘラ思考から抜け出して自分を大切にしよう)

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自尊心と自己価値感は一緒に語られることが多いが、この2つは全く別物で、人生を良くするためには分けて考えた方がよいのではないかと思う。

むしろこの2つを混同することで、余計なストレスを抱えたり、無駄なエネルギーを使ってしまったりしているのではないだろうか。

自分の中でもまだハッキリとした考えに至っていないが、最近考えた事を書き綴ってみたい。

自尊心と自己価値感の違い

自分の中では今のところこんな感じで使い分けている。

自尊心 → 自分で自分を大切にする気持ち

自己価値感 → 自分には価値があると感じる気持ち

そしてこの2つの一番の違いは、自尊心は人間の本質的な感情(欲求)で、自己価値感は本質的ではない偽の感情(欲求)ではないかということだ。

※ここで言う「自分を大切にする」とは「他人を無視して自分の利益を優先させる」ということではい。
自分の興味関心を優先したり、自分が価値あると思うことに取り組むことを優先することだ。
そして、自分の興味関心には他人への貢献が入っていたり、自分が価値あると思うことには社会の発展が入っていたりすることもある。

自己価値感という偽りの欲求

心理学やスピリチュアル系の本を読むと「あなたは存在するだけで特別な価値がある」というような言葉がよく書かれている。

しかし、本当に人間やひとりの特定の個人に特別な価値があるのだろうか?

この世界は何かの拍子に宇宙が出来て、その中に太陽や地球が出来て、たまたま地球に生命が誕生して、進化の過程でたまたま人間が生まれて文明が発達しただけだ。

全てはたまたまそうなっただけ。

そこに特別な価値があるとはどう考えても思えない。

人間も、野生の動物やその辺に転がっている石ころと本質的な違いはない。

「野生の動物や石ころにも全て価値がある」と言うこともできるが、それはもはや価値ではないと思う。

ただし、ある人にとって特定の個人が「かけがえのない存在」になることはある。

その人にとって他の人では与えることのできないモノを提供できるとか、とても多くの時間を共有することでお互いに深く理解し合っているなどどいう場合だ。

このような場合は、似たような別の人を連れてきて交換しても、すぐに同じ状態にすることが難しいから「かけがえがない」のだ。

しかし「かけがえのなさ」と「価値」は別だと思う。

ということで、納得のいかない人もいると思うが、とりあえずここでは「人間に特別な価値はない」ということで話を進めていきたい。

自尊心と自己価値感を混同すること

多くの人は豊かでより良い人生を送りたいと考えている。

これは、自分を大切にして生きていきたいと思う「自尊心」だ。

しかし多くの人は親や学校に教育される中で自尊心と自己価値感を混同してしまう。

そしてこの混同が「自分に価値がないと自分を大切にしてはいけない」という間違った思い込みを生み出す。

それは周りの大人が「価値がある人は大切にされてもいいが、価値のない人は大切にされるべきではない」というメッセージを子供に送っているからだ。

このメッセージはそもそも大人が子供を自分の思い通りにしたいがために発するもので、実際には間違っている。

正しくはこうだ。

「人間には特別な価値なんてものはない。しかし価値があろうがなかろうが全ての人は自分を大切にしていいし、するべきだ」

自分を大切にするために価値を認められなければならない?

この間違った思い込みがさらに進むと「自分を大切にするために、価値を認められなければならない」という強迫観念に発展する。

本当は自分を大切にしたいだけなのに(そしてそれはいつでもだれでも出来るのに)、そのためには自分に価値があることを認めてもらわないといけないと感じるようになる。

しかし本質的に人間に特別な価値などないので、この欲求は満たされずにストレスを発生させる。

そこで多くの人は「俺はすごい」と無理やり思い込んで根拠のない自信を持ったり、他人の言うことに従って相手に褒めてもらったり、逆に相手を脅して自分の価値を認めさせたりといった行動をとるようになる。

多くの本に書かれている「あなたは存在するだけで特別な価値がある」という言葉もこの欲求を満たすためのものだ。

しかしこれらの行動はストレスを紛らわす効果があるだけで、自分の人生に対して本質的な意味はない。

そもそも前提となる思い込みが間違っているし、人生を良くするために自分がやるべきことは自分を大切にすることなのだから。

さらにこじらせると・・・

自分で無理やり自分の価値を認めることもできず、他人に価値を認めてもらうこともできないとどうなるのか?

すると今度は「他人に大切にされることで、自分の価値を確認しようとする」という本末転倒な事態に発展する。

本来、自分の人生は自分で歩むしかないし、本当の意味で自分を大切にできるのは自分だけだ。

だからこの状態は二重の意味で間違っている。

そして、さらに悪いことに「他人に大切にされることを確認するために、まず自分で自分を傷つける」という行動に出るようになる。

自分がどれだけ不幸かを他人にアピールして、それを見た人に同情されたり優しくされたりすることで「大切にされている」と感じようとするのだ。

これまでの流れをまとめると、こんな感じだ。

自分で自分を傷つける(不幸にする)→他人に優しく(大切に)してもらう→自分の価値を確認する→自分で自分を大切に思える(できるようになる)。

世間一般にはこれを「メンヘラ」と呼ぶのだろう。

本当に回りくどいし、無駄なエネルギーを使っている。

そもそも、自分を大切にするために自分を不幸にするなんて、全く理にかなっていない。

最初にもどろう!人生はとってもシンプルだ!

上記のような行動は全く理解しがたい行動に思えるが、簡単に言うと「自尊心」と「自己価値感」を混同してしまったことが原因だと思う。

そして、ここまで行かないまでも多くの人が「自己価値感」を得るために無駄なエネルギーを使っている。

もしくはそれがうまくいかなくてストレスを抱えてしまっている。

よく考えよう。

「自己価値感」はありもしないし、自分を大切にするために必要なものではない。

そんなものがなくても自分で自分を大切にしていいし、自分を大切にできるのは自分だけなのだからどんどんやるべきなのだ。

自分を大切にするのに他人の許可や条件など不要なのだ。

周りの大人に埋め込まれた間違った思い込みはさっさと手放そう。

人生はとってもシンプルなのだ。

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