今さらですが、DVDを借りて映画『ライフ・イズ・ビューティフル』を観ました。
感動するのはわかってましたが、やはり涙がボロボロ出て号泣してしまいました。
なぜこの映画はこんなに感動するのだろうか?
自分がこの映画を観て考えたことを書いてみたいと思います。
※ここから先はネタバレ注意です!
親が子供に伝えるべきこと
親が子供に伝えるべきメッセージは2つあると思う。
そのひとつが「あなたは私にとってかけがえのない人間であり、私はあなたを愛している」というものだ。
ヒューマンドラマ系の映画は、様々なシュチエーションで親が子供にこのメッセージ伝えることを描いたものが多い。
そしてそのメッセージが伝えにくいシチュエーションであればあれほど、それが伝わったときの感動は大きくなる。
だから多くの映画はこのメッセージを伝えるのが困難な状況を設定して、そこに登場人物を置く。
その設定は「自然災害」「戦争などの社会情勢」「数奇な運命」など様々だ。
そして登場人物が子供にこのメッセージを伝えるために、そのような困難を必死に乗り越えていく姿が人々の感動を呼ぶ。
親が子供に伝えるべきもう一つのメッセージとは
親が子供に伝えるべきメッセージはもう一つある。
それがこの映画のタイトルになっている「人生は美しい」というものだ。
これだと漠然としていてわかりにくので、もう少し自分なりに解釈した言葉で書くと以下のようになる。
「人生は生きるに価する。それほど人生とは美しく素晴らしいものだ」
つまりここでは「美しい」という言葉を「とても価値のある素晴らしいもの」という意味で使っているのだと思う。
この映画の主人公であるグイドは自身の人生から「人生とはすばらしく、この世界に生まれてきて本当に良かった」と心から思っている。
そして自分の子供にもそれを実感してもらいたいと願っている。
ところが子供がまだ小さいときに戦争に巻き込まれてしまい、家族ごとドイツのアウシュビッツ収容所に入れられてしまう。
この映画の作者は、子供に「人生は美しい」というメッセージを伝えるのが困難な場所として人類史上最悪と言われたアウシュビッツ収容所を選んだのだ。
子供にこのメッセージを伝えることが親の最も重要な仕事
この映画は、子供に対してこのメッセージを伝えることが親の最も重要な仕事だと言っている。
そしてそれがいかに困難な状況であったとしても諦めてはいけないし、たとえ自分の命と引き換えになったとしてもそれを成し遂げるべきだと。
主人公のグイドは「人生の美しさ」と最も遠くかけ離れたこのアウシュビッツという場所で、自分も極限状態であるにも関わらずそれにチャレンジし続ける。
そんな中、グイドは自分が殺されずに済むか子供にメッセージを伝え続けるかどちらかしか選べないという究極の選択に直面するが、躊躇することなくメッセージを伝えることを選んで殺されてしまう。
その直後に戦争が終わって子供と母親は捕虜から解放されるが、グイドの人生の最後はとても美しいとは言える状況ではなかった。
ではグイドの人生は不幸で意味のないものだったのだろうか?
そんなことはない。不幸でもないし、その人生には大きな意味があったと思う。
それは子供に「人生は美しい」というメッセージを伝えることに成功したからだ。
それほどこのメッセージは子供の人生にとって重要な意味を持つのだ。
あなたは子供にきちんと伝えていますか?
「子供にきちんと愛情を注ぎましょう」ということはよく言われている。
しかし、それだけでは不十分なのだ。
「この世界は美しく、人生は生きるに価するものだ」ということも伝えなければならない。
どんな状況でもそのメッセージを子供に与え続けることが親としての責任なのだ。