行動を制限しているのは自分

スポンサーリンク
medium_4754231502

みさなんはこんなことありませんか?

  • 目標を立ててもなかなか行動に移せない。
  • やってみたいけど、失敗したら恥ずかしい。
  • 他人からどう見られるか心配で、思い切った行動できない。

人生の満足度は自分の行動で決まるとは言っても、なかなか思うように行動できないのが正直なところ。

実際に私もこれらの理由から行動をかなり制限して生きてきた。

そして今の時点(30歳後半)で、すでに色々と後悔している。

行動できない原因は、他人の目を気にした自意識過剰

私の過去を振り返ってみると、行動できなかった原因のほとんどが他人の目を気にするものだった。

そして、そのうちの大半は「自意識過剰」からくるものだった。

最近になって確信を持って言えるようになったが、実際は他人はそれほど私のことを気にしてない。
(このように実際は他人が気にしていないのに、気にしているような気がすることを私は「仮想敵」とよんでいる。実際にそんなものは存在しない、自分の心の中に自分が勝手に作り上げたものという意味を込めて。)

まあ、少しは他人が私のことを気にしていることもあるだろうが、これもよく考えてみると別に他人から自分の行動がどう評価されるかは、最終的には自分の人生においてあまり意味を持たない。

最終的に自分の人生において意味を持つのは「自分がどう行動したか」

もっと言えば、他人の人生においても意味を持つのは本人の行動のみであり、私の行動は意味を持たないのだ。

だから、行動したそのときには他人から色々思われたり言われたりすることも、長い目で見るとそれらは消えてしまい、最終的に残るのは自分の行動に対する評価だけになる。

そうであるならば、最初に書いたような理由で行動を制限する必要はないということだ。

多くの人が持つ「間違った思い込み」

しかし多くの人が他人の目を気にして自分の行動を制限している。

それは「他人の目があるから」ではなく、「他人の目による評価が自分の人生に重要な意味を持つ」という思い込みがあるからだ。

そしてこの思い込みは間違っている。

つまり、多くの人は他人や環境に行動を制限されているのではなく、自分の思い込みによって行動を制限しているのだ。

ちなみに、私の考える「行動に制限がない状態」とは、「やりたいことをやりたいようにやる」ということではない。

それは単なるわがままであり、ないものねだりだ。

思い込みから抜け出した「制限のない状態」とは

周りの環境や今の自分の置かれている状況によって、出来ることと出来ないことがある。

出来ないことをやろうとしても、それは無理だ。

ここで言う「制限」とは「行動のやり方」に対するものではなく、「ある欲求や求める成果に対して何らかのアクションを起こすかどうか」に対する制限ということ。

つまり、求めることに対して、今この場で行動できることがあるかを探しそれを実行に移すのか、それともそれを見つけようとしない(または見つかっても実行に移さない)のか、それが制限がかかっていない状態とかかっている状態の違いということだ。

後悔を少しでも減らせるように、自分がとれる行動を探し、それを行動に移していこう。

おすすめ本

スポンサーリンク

フォローする