最近は思考を自分の行動に集中するようにしている。
「行動に集中する」といっても、「自分が今どう行動しているか」ということに集中しているのではない。
何か考えや感情が湧き起こったら、そこから「では自分が何をするか」ということに結びつけるように気をつけている。
不満や不快を誰かのせいにして終わらせたり、不平や愚痴を言って終わることのないように。
なぜ行動なのか?
それは行動こそが人生の満足度に直結していると思うからだ。
いや、もっと言うと、人生の満足度は自分の行動のみによって決まると言っても過言ではないと思う。
なぜそう思うのか?
ヒントは「死ぬ前に後悔する○○なこと」という本やブログの記事にある。
ネットで検索するとたくさんヒットするので、ぜひいくつか読んでみることをお薦めするが、
ひとつ例を載せる。
次のリストは医師の大津秀一さんという人が1000人以上の患者の最期を看取って、多くの人が死に際に後悔することを25項目にまとめたものだ。
- 自分の体を大切にしなかったこと
- 遺産をどうするか決めなかったこと
- 夢を叶えられなかったこと
- 故郷に帰らなかったこと
- 行きたい場所に旅行しなかったこと
- 美味しいものを食べなかったこと
- 趣味に時間を割かなかったこと
- 会いたい人に会わなかった事
- 自分の葬儀を考えなかったこと
- やりたいことをやらなかったこと
- 人に優しくしなかったこと
- 心に残る恋愛をしなかったこと
- 結婚をしなかったこと
- 子供を生み育てなかったこと
- 子供を結婚させなかったこと
- 悪事に手を染めてしまった事
- タバコをやめなかった事
- 感情に振り回された一生を過ごしてしまったこと
- 自分を一番だと信じて疑わず生きてしまった事
- 死を不幸だと思ってしまったこと
- 神仏の教えを知らなかったこと
- 生前の意志を示さなかったこと
- 残された時間を大切に過ごさなかったこと
- 自分の生きた証を残さなかったこと
- 愛する人にありがとうと伝えなかったこと
ここから導き出される「人生の満足度」とは
人生の満足度とは突き詰めると、人が死ぬ間際に自分の人生に対して下す評価と同じだと思う。
それはどのくらい後悔が少ないかということだと思う。
そして、後悔の量は自分の行動に対する評価によって決まる。
多分、自分の周りの人が自分に対して何をしてくれただとか、自分の生活した環境がどうだったとか、そういうことは最終的にはあまり重要ではないのだ。
(私が特にそれを感じたのは、後悔のリストに「人に愛されたかどうか」ではなく、「愛する人にありがとうと伝えられたかどうか」と書いてあるというところだ)
人生の満足度を高めるためには
そうであるとすれば、日頃から他人がどうこうとか、環境がどうこうとかといった不平・不満を考えるよりは、「では自分は何をするべきか」を考えた方がずっとよいと思う。
もちろん他人の性格や自分の置かれている環境を正しくとらえておく必要はある。
自分の行動が効果的になるためにはそれらの情報が必要不可欠だ。
そして不平・不満も自分の欲求を知るための重要な手がかりなので、それを押し殺してはいけない。
しかしそれらはあくまでも「情報」であり、「何をすべきか」という結論を出すための「材料」でしかない。
それが思考のメインになってはいけないのだ。
それで思考が終わってはいけないのだ。
自分にできることは大量にある
ちなみに、自分の人生の満足度を高めるために自分がとれる行動は、おそらく人の一生分の時間を使っても全て行うことができないくらい大量にあると思う。
それなのに、多くの人はその行動を探そうとはせず、自分の行動と関係のない他人の嫌な所や環境の嫌な所ばかり繰り返し考えている。
そして、さらに悪いことにそれらを考えることでストレスを溜めている場合さえある。
もし、満足につながる行動が少ししかないのであれば、残りの時間はそういうことを考えるのもまあしょうがないと思うが、そうではないのだ。
やれば満足できることがあるのに、ほとんどの人はそのうちのごく一部しか実行できずに、または全く実行できずに人生を終える。
そして死ぬ間際になって後悔するのだ。
なんともったいないことだろう。