自分も他人も不幸にする「間違った努力」に陥らないようにするために

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間違った努力とは?

私の職場に、ものすごく真面目で人一倍努力している人がいる。

しかし、その人に関わるとほとんどの人がたいした成果を出せないばかりか、関わった人がどんどん不幸になっていっている感じがするのだ。

本人はとても真面目に働き、他人のためになることを多くこなしているので、周りの人に文句を言われるようなことはない。

不思議に思ってよく観察してみたら、その人は「いつか報われるために、辛いことを我慢してこなす」という考え方で努力をしていた。

つまり、仕事や作業そのものを全く楽しんでいないのだ。

そして本人の中にはストレスが溜まっていて、ことあるごとに「私がこんなに我慢して頑張っているのに、あの人は全然努力していない」とか「私がこれだけ苦労しているのだから、あなたも苦労するべきた」「なんで私だけ・・・」などといった不満を口にしていた。

この努力の仕方は根本的に間違っていると思う。

何かを求めて努力することは良いことだ。

しかし「いつか報われる」ことを願って、ストレスが溜まるだけの努力をするのは人生を無駄にしているのと同じだ。

良い人生とは、行動しているその一瞬一瞬が充実している人生だ

ただし、なにも楽で簡単なことだけをやればいいということではない。

体力的にも精神的にも大変な作業でも、それをやることそのものが充実感につながるという作業をやるべきなのだ。

そういう作業は疲れるが「苦労している」「大変だ」という感覚ではない。

ある芸能人がこんなことを言っていた。

自分で苦労していると思っているようなら、それは向いていないということだから、もっと自分に合うことを探した方がいい

別の人はこんなことを言っていた。

この苦労がいつかは報われる。そんな見返りを求めて努力するのは止めた方がいい。楽しいからやる、自分がやりたいからやるという方がいい

そして、実際に大きな成果を出している人は、ほとんどが人並み外れた努力をしているが、「自分が苦労している」とか「苦しんでいる」という感覚はない。

結局、楽しいと思ってやっているから人一倍の努力が続けられて、その結果として大きな成果を出せるのだと思う。

そういう人たちは大きな成果が出ようが出まいが、すでに人生を楽しみ、人生を謳歌しているのだ

そういう人たちは、行動や作業そのものが楽しくてしょうかない。

だから、他人が頑張っていないとか努力していないといったことを気にしない。

他人が努力したり苦労したりするかどうかと、自分が人生を楽しむこととは関係がないからだ。

自分が楽しめないから他人にも苦労を共用する

冒頭の同僚は、結局自分が人生を楽しめていないから、他人も同じように苦しまないと気が済まないのだろう。

だから他人にも苦労し大変な思いをすることを強要する。

しかしそれを受け入れて、自分も同じように苦労したところで、自分の人生には何の役にも立たない。

ただ負の連鎖が広がるだけだ。

もしかしたらこの同僚も、親や別の人の影響でこのような考え方になってしまったのかもしれない。

それはそれで可哀想だが、だからと言って自分の人生を犠牲にして、それに付き合ってあげるのは馬鹿げている。

そのような人は放っておいて、自分が楽しんで努力できる分野を探すことにエネルギーを使おう。

それを見つけるのが早ければ早いほど人生をより楽しむことが出来る。

参考本もどうぞ

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