嫌な人のことをいつまでも考えてしまう。
どうにかしてあいつに一泡吹かせてやりたい。
なんとかギャフンと言わせてやりたい。
どれも今までの自分に当てはまりまくりで「ほんと無駄なことに時間とエネルギーを使ってたな~」と反省することばかりです。
そんなこと考えても、そんなこと実行しても、自分の人生のプラスには全くつながらないのに。
他人を責めることは自分の人生のプラスにならない
過去の記事「人生の満足度は何で決まるのか?」でも書いたとおり、人が死ぬ間際になって考えるのは「プラスの行動をどれだけしたか」ということだ。
人が死ぬ間際に、自分の人生の評価を下す際に考えるのは、
嫌いな相手にどれだけ嫌がらせができたか
ではなく、
愛する人にどれだけ感謝を伝えられたか
ということなのだ。
プラスの行動はいつでもすぐにできる。
そして愛する人に感謝を伝えるのは、今この場所でできるのだ。
好きな人に自分の好意を伝えるためには、なにも準備はいらないのだ。
今すぐにとはいかないかもしれないが、自分がやろうと思えばすぐにできることだ。
そして、それを行うことは自分の人生のプラスにつながっている。
なのに、それらができる時間とエネルギーを、なぜわざわざ嫌いな人のために使わなくてはならないのか?
どちらの行動をとるかは自分で選択できる
好きな人に感謝の気持ちを伝えることに時間とエネルギーを使うのか、それとも嫌いな人のことを悶々と考えることに時間とエネルギーを使うのか、それは自分で選択できる。
- 嫌いな人を好きになることはできない。
- 嫌いな人を世の中から消すこともできない。
- 自分と馬が合わない人は誰にでもいる。
しかし、嫌いな人と好きな人がいたときに、どちらに時間とエネルギーを使うかは自分でコントロールできる。
それがきちんとコントロールできれば、嫌いな人から受けるダメージは最小限に抑えることが出来る。
きちんとコントロールできなければ、嫌いな人から実害以上のダメージを受けることになる。
自分の人生を嫌いな人に費やすことは、その人に人生のコントロール権を委ねているということだ。
「ゆるし」とはそのコントロール権を他人から取り戻すこと
そのコントロール権を自分に取り戻そう。
「ゆるし」とは、嫌いな人を好きになることではない。
その人が自分に対してやった嫌がらせを無かったことにしてあげることでもない。
「ゆるし」とは自分に対して嫌なことをやった相手から自分の人生を取り戻して、自分を幸せにすることに時間とエネルギーを使えるようにそれらのリソースを取り戻すことだ。